オスマントルコは欧州支配をかけて2度、ウイーンを包囲した。中でも1683年の2度目のウイーン包囲では圧倒的な兵力にウイーンの落城は目に見えていた。
30万のオスマントルコ軍を率いるのは大宰相カラムスタファで対するウイーンの守りは1万5000。この危機を救ったのはポーランド国王のヤンソビエツキ率いる4万とドイツを中心とする神聖同名。
オスマントルコが勝てば欧州と中東はイスラム圏になり、バチカンを初めとする教会はモスクへと変貌するはずだった。
国王ヤンは戦の天才であった。彼は全軍7万を指揮することになり、奇抜な戦術を提案する。
ウイーンを見下ろす小高い山から大砲や騎馬兵で電撃奇襲作戦を行なう、というものである。日本でいえば桶狭間である。
ポーランドの古都クラコウの古城はいまでは観光客で賑わうが、門を守る当時の衛兵が再現されている。
この甲冑で山に登って戦うには相当な体力が必要である。ポーランド料理に肉が多いのもうなずける。
ともかくウイーンは、というより欧州はポーランド国王によって守られた。ポーランド人にはそんな歴史を誇りにしているのだろう。
ついでにいうとポーランド騎馬兵は強かったらしいが、ポーランドは欧州でもっとも交通事故の多い国である。乱暴な運転も騎馬兵のDNAの仕業と考えれば納得がいく。