米国の変貌ーPart7 Flaggstaff, Arizona

 

 I-40は米国横断する幹線道路で走破すれば、北米の地形や文化の変化に驚くだろう。ニューメキシコからアリゾナに入ると迎えてくれるのはアルバカーキである。北に少し行くとサンタフェだが、I-40をそのまま走れば、ギャラップ、そしてフラッグスタッフとなる。

 

 道はほぼ直線で行き交う車は(1970年代後半には)ほとんどなかった。1時間ほど走ると1-2台の車とすれ違うのみで、前も後ろも溶けそうに熱くなったアスファルト。すれ違う車同士はライトで挨拶し、一瞬で挨拶を交わす。

 

 そんなI-40沿線で人口わずかに5万人といえどもフラッグスタッフは異彩を放っている。南に下ればプレスコット、フェニックス、そのまま突っ走ればロスアンジェルスという、交通の要所であるとともにグランドキャニオン行きの基地でもあるからだ。風景は単調でほとんど映画の西部劇の世界であるが、I-40沿いに走ると変化がみられた。

 

 交通量の多さと見渡す限り何もなかったはずの広大な大地に、家が建っているではないか。家々の間はゆうに数マイル以上は離れているに違いないが、人がこの荒れ地に住みだした。

 

 1970年代後半の人口2億人から今では3億人に増えた。なるほど、1億人が増えるとこういうことになるのだ。東部でもI-40の交通量が増えていたっけ。

 

 夏のフラッグスタッフは灼熱の太陽にアスファルトがこげる臭いで満たされるが、標高2,000mは伊達ではないので、太陽が沈むと結構冷え込むし、冬にはちょっと北に行けばスキーも楽しめる。

 

 フラッグスタッフが歌詞に登場する"Route66"とともに、人々のノスタルジアの一角をなすのだろう。

 

 この場所付近のI-40で車を止めたら地球に一人で取り残されたような錯覚になった。いまは昔、の話である。