ロシア大統領側近と外交官の不可解な死

24.02.2017

Photo: theduran

 

 超大国としてのロシアの復活で、米国主導の地政学ランドスケープの変革が起きている。特に、シリアでの地上戦参加やシリアの停戦合意への外交で中東での影響力を、アジアでは中国との関係を強化し、新シルクロード構想といった大規模な地域経済化で超大国としての存在感を示している。一方、この16カ月の間にプーチン大統領の側近やロシア外交官8人が死亡する不可解な事件が起きている。

 

 

死亡したプーチン大統領の側近や外交官

2015年11月5日 ミハイル・レーシン

 レーシン氏はプーチン大統領の元側近、元情報通信相でロシア国営メディアRussia Today (RT)の創立に関わった人物。同氏は、米ワシントンD.C.のホテルで心臓発作により死亡したと発表された。しかし、4カ月後の2016年3月にワシントン検視当局は当初発表した心臓発作が死因ではなく、鈍器による打撃で頭部に受けた外傷を死因とし、殺害の疑いが浮上した。最終的には泥酔状態で転倒して頭部を強打して死亡したとしたが、不審な点は多い。

 RTは西側主要メディア(BBCやCNN)より信頼度が高いとして、米国、ヨーロッパで視聴率が上昇している。

 

2016年9月7日 プーチン大統領の最もお気に入りのドライバーMK

 プーチン大統領の公用車の運転手で、個人的には最もお気に入りで信頼が高いとされたドライバーのMKが交通事故で死亡する。交通量の多いモスクワの通りを走行中、反対車線を高速走行中のベンツが対向車線を乗り越え、公用車と正面衝突する事故であった。MKは公用車の運転歴40年以上のベテランドライバーであった。事故発生当時、プーチン大統領はG-20サミットに出席のため中国にいて、事故を逃れた。

 

2016年11月8日 Sergei Krivov

 Krivov氏はニューヨークのロシア領事館内で床の上に倒れ意識不明の状態で発見され、病院に搬送される前に死亡した。亡くなった際の状況は明らかにされていない。当初の頭部損傷から心臓発作と死因の発表は変わるが、3カ月後にニューヨーク市検視当局は死因に疑いを示し、詳しい検視調査を求めた。ロシア領事館では職務指揮官として、ロシア領事館内の米諜報活動を阻止することが主な職務であったとされるがKrivov氏に関する情報は米露のメディアで大きく異なっている。

 

2016年12 月19日 アンドレ・カルロフ

  トルコのロシア大使がアンカラの美術館展覧会場で殺害された。2015年11月にシリアで空爆作戦中、ロシア軍機がトルコ軍に撃墜され、両国の関係が悪化していたが、2016年8月にロシアでトルコ・ロシア会談が開催された。カルロフ大使はプーチン大統領とトルコのエルドアン大統領との関係改善に動いたと言われている。

 

2016年12月20日 Petr Polshikov

 ロシアの外交官Petr Polshikov氏がモスクワの自宅で頭部を銃弾で打たれ、死亡。トルコでカルロフ大使が殺害される数時間後に起きた事件である。Petr Polshikov氏はロシア外務省のラテンアメリカ部署の上級外交官であった。

 

2017年1 月9日 アンドレイ・マラニン

   ギリシャの総領事館の領事アンドレイ・マラニン氏が、アテネの自宅風呂場で遺体で発見されたが、死因は不明。当時ギリシャは金融危機で、EUとの関係が悪化していた。マラニン氏はgイリシャとロシアとの関係強化に尽力した。2015年に厳しい緊縮財政に置かれていたギリシャは、IMFへの債務返済が困難となり、EUからの資金支援が望めないなか、資金支援を巡りロシアのプーチン大統領との会談が開かれる。

 

2017年1月26日 アレキサンダー・カダキン

   インドのロシア大使アレキサンダー・カダキン氏は心臓発作で死亡と報道された。カダキン氏はインドとパキスタンの国境問題でインドとパキスタン両国との間に緊張状況が続いているなか、両国との間で良好な外交関係を築いくのに貢献したとされる。

 

2017年2月20日 ヴィタリー・チェルキン

 チェルキンロシア国連大使は執務中に倒れ、搬送された病院で死亡した。死因は心臓発作と発表されたが、亡くなった際の状況は明らかにされていない。司法解剖を行ったニューヨーク市検視当局は、さらに毒物検査や他の法医検査が必要とされ、死因が確定されるのは数週間後とされる。

 

 チェルキン国連大使は40年以上ロシア外交に関わり、2006年に国連大使に任命されてから国連安保障理事会では最も長い任期を務める大使であった。2016年12月31日には国連安保障理事会で、ロシアが提出したシリアの停戦合意案の決議が採択された。