金・銀を法定通貨とする州政府

Aug. 2, 2015

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Photo: epdoyle.com

 

 米連邦準備制度理事会(FRB)の量的緩和の金融政策への不信感、ドルの通貨価値の低下と下落の懸念を背景に、アメリカでドルを信用するより、金・銀を法定通貨とする動きが多くの州で拡大している。

 

 金相場は下降していても、金を資産の保存手段、長期的には購買力を維持する手段としてみているのである。アメリカ史の中でも金制度を導入していた時期の方がドルの購買力、インフレが安定していた。

 

金本位制からの離脱:通貨でなくなる金

 アメリカは1879年から続いた金本位制を2度にわたり、1933年と1971年に離脱している。一回目は1929年のウォール街暴落で世界恐慌が始まってから3年後の1933年である。預金者の取り付け騒ぎによる銀行倒産の増加、金の海外流出が危機的な状況になると、恐慌の長期化を避けるための最終手段として行った。

 

 ルーズヴェルト大統領令は国民による金の退蔵と所有を禁止、国民が所有する金を連邦準備銀行に提出することを義務づけた。100年続いていた1オンス$20.67ドルの金価格は約40%切り下げられ、1オンス$35に固定された。米国金準備は一気に40億ドルから73億ドルに増加、米国ドルは60%切り下げられたのである。このドル切り下げによって政府債務は減少、輸出が伸び、経済は回復に向かうのである。

 

 第二次世界大戦後、ブレトン・ウッズ体制が設立された。世界経済の安定、通貨価値の安定、自由な世界貿易体制をつくる上で為替相場の安定が必要であった。当時アメリカは世界一の金保有国であったことから、金価格は1オンス $35と固定され、ドルに対し各国通貨の交換比率が決められた。つまり、各国通貨は米国ドルとの固定為替相場体制下となり、間接的に金と結びつく形の金体制となったのである。このようにして、米国ドルは世界の基軸通貨となった。

 

 金本位制からの2回目の離脱は1971年にニクソン大統領がそれまで固定されていた金価格を1 オンス$38に変更し、その後、連邦準備銀行は金・ドルの交換停止を発表した時である。ベトナム戦争、貿易収支の赤字、政府債務の拡大が原因で、アメリカはドルの金交換に応じきれないほど金保有量が減少した。

 

 1973年には1オンス $42に再度設定するが、最終的には金体制から離脱することになる。ブレトン・ウッズが終結することで、世界経済の枠組みは大きく変化した。そうして、米国ドルは世界中の石油取引の決算通貨、つまり現在に至るドル石油体制が作られた。


Photo: Public Records Online

 

金・銀を法定通貨に

 リーマンショックがもたらした金融不安、その後のFRBの量的緩和による金融危機の脅威(ドルの崩壊)で、金・銀を法定通貨とする動きが加速している。2011年にわずか3州が、2015年には19の州で金・銀金貨を貨幣として使うことを公認している。

 

  アメリカ建国の時から米国憲法第1条第10節は、金と銀金貨を法定通貨として使うことを認めている。しかし、現実的には通貨としての使用は個人間の了承を得た取引に限り、限定的である。

 

 金・銀を法定通貨とした法令がある州(ユタ、ミネソタ、テネシー、ジョージア、テキサス、オクラホマ、アイオワ、ルイジアナ、アリゾナ、コロアド、キャンザス、モンタナ、インディアナ、ニューハンプシャー、サウスカロライナ、ヴァージニア、ワシントン、ミズーリ、テネシー)では、金と銀を使う支払いシステムが導入されている。

 

 金を通貨として日常的な買い物から税金、公共料金などの支払いができるのである。金融機関で保有している金・銀を預け(現金の代わり)、発行されたデビット・カードで支払いができるのである。もちろん、金貨・銀貨での支払いも可能である。その際の金貨の価値は、当日のレートで設定される。金取引の利益は28%の連邦キャピタルゲイン税が課せられるが、免除とする州もある。