オープンスカイー空のTPP

Spt. 5, 2014

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「豊かな米国」の時代、筆者は米国コネチカット州のWiltonという小さな街に、毎年夏ホームステイするのが楽しみだった。成田からのJAL直行便がサマータイムでまだ明るい夕方にJFK空港に着く。当時の東部主要都市を結ぶ"I95 North"は道路保全が悪くて夜間の高速走行は危険だった。そのため遅れがないように願ったのだが、しばしば遅れて着陸した。また何故か到着時刻が毎年遅くなっていった。国際便の発着時刻は何故、顧客の都合を優先しないのか疑問に思った。



 TPPの本質がようやく真剣に議論されてきている。もしかしたら空の世界では一足早く実現しているのかも知れない。オープンスカイである。これは、90年代に米国が提唱した国際協定でエアラインが2国間あるいは、地域内の各国において、空港の発着枠、航空路線、便数などを決める国際航空協定である。謳い文句ではTPP同様に空の自由化は顧客優先にみえる。


 締結されると路線は自国内地点、中間地点、相手国内地点及び以遠地点のいずれについても制限なく選択が可能であり、自由にルートを設定することができるからだ。希望する空港の発着枠を確保されれば 便数、参入エアラインも基本的に制限は行わない。エアラインの裁量による運航が可能となり顧客への利益が還元されるはずであった。(国際線エアラインが1社の場合はよいだろう。)

 実際にはどうか。「希望する空港の発着枠を確保されれば」という条件が問題になる。どのエアラインも主要国の玄関空港には顧客の希望する時間帯(日中)に発着させたいので、エアライン同士の競争で結局は2国間交渉がまとまらない。日程が決まってもなかなか都合の良い時間帯の発着条件に合うフライトが見つからないのは、このためである。結局、利益相反により顧客が迷惑することになる。一例を示そう。

 成田空港の不便さは乗り継ぎ客の長蛇の列をみるたびに実感する。ようやく2010年に羽田国際線の発着枠拡大が決まり、国土交通省は乗り入れ国との航空交渉を行い、これまでに10カ国と合意し、全31便の就航が決まったが。しかし最も重要な米国行きの残る9便をめぐって米国との交渉は難航している。


 例えば羽田の国際化が進むことは、成田に集約して来たデルタは羽田から米国への昼間便が飛べば、成田拠点構想が崩れる。枠を拡大して利益につなげようとする思惑がかち合い米国大手エアライン調整は決裂し、交渉をまとめられないという。大型ジェット機(100人以上)の世界ではBoeing社の独占時代が終わり、エアバス社と2社競争時代に入ったことで、ハード的には顧客の選択肢が広がったが、ソフト(離発着スケジュール)では、自由化は名目にすぎないかも知れない。



 デルタの意向は羽田発着を認めるなら全便を成田から羽田に移したいということだが、一理ある。当の日本政府が1978年に開港した「成田空港を国際線の拠点」にしていくと決めたからだ。現在は羽田枠を拡張し明らかに国際線の2拠点並行運用体制に向かっている。


 羽田が国内便ハブである以上、また都心からの移動の利便性や、24時間空港である点、で顧客が羽田の国際線枠を増やして欲しいと思うのはもっともである。国の意向と国民の利益相反があるなら早く解決しておかないと、国際競争力に負の因子となる一方だ。すでに関空と伊丹の共同運営は破綻している。この辺で清算し国益を考え思い切って先に進んで欲しい。



 成田は残すなら貨物専用ハブとして使うのがよいだろう。カーゴハブというのは新しい概念だ。拡張後の滑走路は余力があるので、茨城空港に手狭になった百里基地を開放し、一部をを首都防衛の基地とするのもよいかも知れない。米軍は将来像として国内米軍基地を日本が管理することを考えているので、現在、輸送拠点の横田を返還させ、日米で成田を運用するのは選択肢に入るだろう。