ロバート・ F・ケネディ暗殺の真相 Part 1

15.09.2019

 9月11日に、セェィン・ユージン・セザールという名前の男性がフィリピンで死亡した。名前を知る人は多くはないが、ロバート・ケネディ暗殺を巡る研究者の間では広く知られている名前である。セザールの死亡をもって、息子であるロバート・F・ケネディ Jr. はSNSのインスタグラムで、セザールが父の実の暗殺者であることを示唆した。

 

 ロバート・F・ケネディ Jr.はインスタグラムで次の通り述べている。

 

 セェィン・ユージン・セザールは今日フィリピンで亡くなった。説得力のある証拠は、セザールが私の父を殺害したことを示唆している。1968年6月5日、ロッキード社のバーバン施設の機密部門の従業員であったセザールは、アンバサダーホテルの警備員としてアルバイトをしていた。その職に就いたのは1週間前のことであった。私の父がボールルームで演説をしていた間、セザールはキッチンで待機、その後、父の肘を掴みサーハンの方に誘導した。キッチンには77人がいて、目撃者全員が、サーハンは常に父の前3~6フィートの距離にいたと証言している。サーハンが数人に取り押さえられ倒される前に、父に向かって2発の銃弾を撃った。取り押さえられ数人に下敷きにされた下から、サーハンは8弾丸式リボルバーで反対方向に残り6発発砲、5発はその場にいた人にあたり、1発は不明な場所に飛んだ。彼自身の説明によると、セザールは父のすぐ後ろで父の右肘を握って、父が彼の上に倒れる時に持っていた銃弾を発砲した。セザールは、銃弾を発砲した正確な時期について、何度も繰り返し証言を変えている。検死官のトーマス・ノグチ医師によると、父にあたった4発は全て父の後ろから撃たれた「接触弾」で、銃身が父の体に触れている、またはほぼ触れている状態であったとした。父は、倒れたとき、後ろに手を伸ばしてセザールのネクタイピンをはぎ取った。暗殺から数週間後、セザールは持っていた .22口径の拳銃を同僚に売った。その時、同僚にその拳銃は犯罪に使われたことを警告した。セザールは、警察には、拳銃を暗殺の数カ月前に処分したと嘘をついた。セザールは偏見をもち、黒人の公民権を支持していたケネディ家を憎んでいた。私は、彼のエージェントであるダン・モルデア氏を通じて25,000ドルの支払いを要求されるまでは、去年の6月にフィリピンでセェィン・ユージン・セザールと会う計画であった。皮肉にも、モルデア氏は1995年に出版した本の中で、詳細で説得力のある内容でセーザルが犯人であることを主張しているが、突然最後の章で彼が無罪である奇妙で理にかなわない説明で終わっている。警察はこれまで、父の殺害におけるセザールの関与を真剣に捜査したことはない。

 ロバート・ケネディ暗殺から50周年に当たる2018年に、ロバート・ケネディ Jr.は、政府による父の暗殺の再捜査を要求した。51年経っても多くのアメリカ国民が、サーハン・ベシャラ・サーハンが単独で暗殺を実行したという政府の公式捜査結果に疑問をもっている中での発言となる。