ホーキング博士の見果てぬ夢とM理論

19.03.2018

Photo: media.radiosai.org

 

極微の世界と大宇宙はどう繋がっているのかという問題は多くの物理学者が頭を悩ましてきた問題だが、両者の統一的理解を目指す理論が進展してきた背景には天文観測や加速器実験のデータの蓄積があることは明らかだである。ホーキング博士の死去は大きな損失だが、アインシュタインやホーキング博士の気はてぬ夢は大型加速器と重力は観測による検証で完結章に向かっている。

 

重力場の特殊性

1915年のアインシュタインの一般相対性理論以来、理論物理学者たちは、究極的な極微の世界(素粒子の世界)と無限大の大宇宙と統一理解を夢見てきた。研究にとってこの上ないモチベーションで、結果多くの理論が提唱されて検証されたものが生き残った。天文データや加速器実験で理論に合致しないものがあるたびに理論は改良され、枠組みを拡大して「成長」してきたのである。

 

宇宙の基本的な運動はアインシュタインの方程式によって正確に記述できるが、素粒子の世界の多くは基本的相互作用の標準モデルによって高い精度で予測できていた。ごく大雑把にいえばこのモデルの枠内では、物理的物体間の相互作用が4つの基本的な力によって記述される。ちなみに4つの基本的な相互作用の中で重力と電磁気の2つの力は、巨視的で身近な存在である(現代社会はそれらに強く依存している)。

 

宇宙を記述する4つの力

一方、強い相互作用と弱い相互作用と呼ばれる4つの基本的な相互作用の残りの2つは、微視的な極限で作用する力で原子核や素粒子過程を扱う場合にのみ重要となる。基本的な相互作用の標準モデルは、これらの4つの力のうち3つを統一して記述することができるが、重力は含まれていない。例えば惑星の軌道や銀河のダイナミクスのような大規模な現象は正確に記述できるが、一般相対性理論は極微の世界(非常に短い距離)で成立しない。

 

標準モデルはすべての力は特定の粒子によって媒介されると考える。重力の場合にこの考え方を適用しようとすれば、グラビトンと呼ばれる粒子を仮定するとした計算は収束しない。正しい重力理論は基本粒子の量子的性質を含みどのスケールに依存しない必要がある。3つの基本的な相互作用と重力を統一的に記述する理論が数多く提唱されてきたが、その中でも今日最も有力と考えられているのがM理論である。

 

M理論は第2の弦理論革命

M理論の前に有力とされていたのは粒子を1次元の弦として扱うストリング(弦)理論である。弦理論は特定振動を重力と解釈し、数値計算が収斂しない問題を解決した。しかし、1970年代に盛んであったが、加速器実験結果を説明できないため衰退して、1980年代に対称性を取り入れて拡張した超弦理論に引き継がれた。ちなみに1980年代は加速器が大型化して実験の情報量が爆発的に増大した時期でもある。1995年のM理論の登場は第2の弦理論革命と呼ばれ多くの理論物理学者の興味を集めた。今日では統一場に最も近いとされるがそれでも実験的検証が可能な予測は限定される意味で、「未完の理論」である。

 

Credit: universe-review

 

上図のブレイン(膜)という概念はもともとは素粒子の研究のものを宇宙論に適用したもので、高次元数の弦理論世界の中で我々の宇宙は膜の中に存在している。弦理論で扱う10次元世界はそれだけでも(4次元世界しか知らない我々には)直感的理解が難しい。

 

最大の問題は5つに分類される弦理論と現実世界との関係性で、これを解決するのがM理論である。M理論は5つの弦理論が(10次元でなく)11次元にあるとする。M理論の骨子となる超対称性は最先端の加速器(CERNのLHC)による検証実験が始まっている。統一場理論としてのM理論に希望を託していたホーキング博士は、実験的な検証を待たずにこの世を去った。加速器実験や重力波観測で検証されれば、アインシュタインやホーキング博士が夢見た統一場の理論がいよいよ確立するかもしれない。

 

加速器も重力波観測もかつては先進国が威信をかけて建設され、国際的な運用で世界中の実験物理研究者が共同で利用して成果を上げてきたが、大型化で規模が増大し現在では先端にある設備は一国で建設が難しく、国際的協力が不可欠となった。LHCに続く次の加速器としての欧州のFCCや日本が主導するILC、そして一足遅れたものの日本の重力波観測施設KAGRAで世界観測網が充実するなど、日本の果たすべき役割は大きい。

 

誰しも自分の存命中に夢を実現したいと思うが、難しい問題では道半ばで次の世代にバトンタッチせざるを得ないことは多い。しかし1970年代から今日までの統一場理論の追求は理論と実験が噛み合うような展開に到達している。したがって永遠に解決できないとは言えない。見果てぬ夢ではなくなりつつあることを認識して、この努力を続ける必要がある。