アメリカの西アフリカ派兵の意味

Oct. 7, 2014

 

 

 オバマ政権は10月3日に米軍兵士を1000人増やし、最大4,000人の米軍兵士を西アフリカにエボラ出血熱を封じ込めるために、派遣することを明らかにした。この対策はエボラ出血熱熱の封じ込みより、多くの米軍兵士の感染と今後、帰国した兵士がアメリカでパンデミックを広げる可能性をつくりだした。


 1918年のスペイン・インフルエンザ(スペイン風邪)は感染力の強いウイルスで世界中に広がったパンデミックであった。スペイン風邪の拡大背景を検証すれば、医療関係者の派遣ではなく、なぜ軍兵士の派遣かの疑問が強くなる。

 スペイン風邪の最大の特徴は健康的な20から35歳代の若者に感染が最も多かったことである。世界人口の3分の1が感染、1920までには死亡者は5,000万人から多くて1億人ともいわれている。その始まりアメリカにあるのは、広く知られていない。


 アメリカのカンザス州にある米軍基地のフォート・ライリーは、世界第一次大戦のヨーロッパで戦う前に、陸軍新兵が訓練を受ける基地であった。そこの料理担当者が風邪の症状をみせ、その後悪化したことで、隔離された。その一時間後、数人の兵士が同じ症状をみせ、隔離された。厳しい隔離対策を取ったにも関わらず、感染は拡大し、5週間で1,127人の兵士が感染、そのうち46人が死亡した。3ヶ月で8000人が感染、そのうち1000人が死亡したのである。

 
 またたく間に他の米軍基地にもインフルエンザは広がった。生き延びた若い兵士は米国基地から混み合った列車や船に乗せられ、戦地である欧州に送られた。その間、兵士達に宿ったウイルスは変異を繰り返しながら、より感染力と死亡率の高いウイルスとなっていったと考えられる。

 米軍兵士たちが欧州にわたり、その結果、同盟国のフランス兵士達の間で感染が広がり、そこからヨーロッパ各地に拡大していった。スペインに、このインフルエンザ感染が広がり、スペイン政府がこのニュースを世界に伝えたことから「スペイン風邪」と呼ばれるようになった。

 
   人口1000万人のキューバでさえ、165人の医療チームを派遣しているのに、最も必要な医療スタッフではなく、4,000人の米軍兵士の派遣は謎である。別の目的があるのではと、疑ってもおかしくない。医療チームでなくスペイン風邪でわざわざパンデミックを引き起こす可能性が高い兵士であった必要は何なのだろうか。