リベリアから米国への入国する人数の多さに驚く人もいるだろう。しかし建国の経緯が米国で解放された黒人奴隷が1847年に建国したことを考えれば当然なのかも知れない。米国に連れてこられた黒人奴隷が解放後に米国に居住を続けたので、リベリアから家族や親類を頼って入国する人が多いのは自然だ。
オバマが寛大な措置をとっているのも、黒人奴隷の歴史的経緯からすれば、当然なのだが調べてみると米国とリベリアの主従関係が明らかになる。ちなみにリベリアの語源はLibertyであり、その国旗は米国旗にそっくりだ。★は一個で横の白線と赤線の合計は11本である。この11本は独立宣言に署名した11人を表しているということだが、テキサス州旗と見比べて欲しい。テキサス州旗の★はいわゆるローンンスターで、線の数が13本である以外そっくりである。またリベリアの首都モンロビアのは米国大統領ジェームズモンローからとったものであり、憲法は米国憲法が基本、通貨はリベリアドルである。
リベリアは船籍の多いことで有名で巨大なタンカーの多くはリベリア籍であることは良く知られている。他国に比べて安い登録料金が収入になっている。米国とのつながりが深いにも関わらず、1970年代から内戦、クーデターで国は荒れはて、世界でも最下層の貧困国家である。
人口420万、一人当たりGDPはわずか447ドルで世界平均の5%未満の超貧国である。経済破綻も米国企業ファイアーストーンのゴム農園建設で避けられた他、建国から入植や宣教活動等米国との密接なつながりは共和国といっても植民地的性格を持つともいえる。そのため反米活動が激しくなりクーデター、内戦で数10万人の死者を出している。治安の悪さは現在も続く。
西アフリカへ就航している欧州のエアラインは以下の大手の会社がある。
エアフランス
ルフトハンザ
英国航空
KLM
イベリア航空
アリタリア
TAPポルトガル航空
ブリュッセル航空
リベリア行きは以外と少なく、英国航空が首都モンロビアとロンドン間を州3便、ブリュッセル航空がモンロビアとブリュッセル間を週4便運行しているのみである。ちなみに米国系エアラインではデルタ航空がロサンゼルス、ミネアポリス、ニューヨークとモンロビアをそれぞれ週1便で運行している。ダラスに降り立ったDunkan氏はブリュッセルを経ているので、出発はブリュッセル航空、ANA便で羽田に到着後エボラ出血熱感染の疑いのあった邦人もブリュッセル経由であった。
米国の植民地といえるリベリアの歴史をみれば何故、米国に入国するのか、エボラ出血熱の患者の隔離さえままならない深刻な状況も理解できるだろう。根本的な問題が米国の奴隷制度に遡ることはあまり知られていない。