西アフリカの歴史 Part3 ギニアーBeginnings

 

 ギニアの特殊な事情

 ギニアはエボラ出血熱の感染者を出した西アフリカの国のひとつでシェラレオネとリベリアに接しているが、独立以後の歴史は他の国と少し事情が異なる。ギニア共和国の独立は1958年にフランスの植民地から国民投票で独立を遂げた。住民の民俗学的な歴史は古く12世紀に遡る。

 


 共和国の独立に際してそれまで支配していたフランスの態度は避難されるべきものであった。引き上げと同時にインフラを破壊しつくして貴重品を本国に持ち帰った(というより盗んで帰った)。そのため共和国の経済は窮地にたたされた結果、社会主義政権が誕生した。

 


 その後、軍のクーデターで自由主義に転じ軍人が独裁に近い政治を進めたが、腐敗し市民と治安部隊との衝突が繰り返される不安定な状態に陥る。2008年に軍人の大統領が亡くなると同時に政権が交替したが、これもクーデターで混乱し2010年に選挙で現政権が「議会なき」民主政治を繰り広げている。

 

豊かな資源
 共和国独立当時は農業国だったがアルミニウム原料のボーキサイトの埋蔵量は世界の1/3を占め、輸出産業の主役となった他、金、ダイアモンドが採掘され、これらは先進国の大企業が合弁で輸出を精力的に行っている。ギニアは人口1千万、GDP45億ドルの西アフリカ有数の資源国である。

 


  2014年のエボラ出血熱の感染はギニアで2013年12月に感染した2歳児が最初であった。姉と祖母が相次いで死亡し、ついで看病した医療関係者や親族に感染が広がったことが最初であった。感染の発見が遅れたことの他、ウイルスが確定され近隣諸国とWHOが国境閉鎖など封じ込めの対応策をとったが、ギニアは国境閉鎖に消極的で治療を優先したことで、シェラレオネ、リベリアへと感染が拡大した。最初の感染については別記事を参考にして欲しい。