先進国の誤算−Part2 フランスの選択的移民政策

Dec.15, 2014

 

 「フランスで生まれた者はフランス人である」、という簡単明瞭な国民の定義は貧困にあえぐ北アフリカの難民にとって希望そのものである。フランスのグルノーブルは中でも移民天国で、南アフリカに限らず欧州各国からの移民が多い。そのこともあってグルノーブルはまた欧州テロリストの活動拠点というありがたくないレッテルを貼られることになった。移民の増加はストラスブルグにまで及んできて重厚な中世の面影がある古都も一角には移民たちが隠れるのに都合が良いゲットーが形成された。

 


フランスの移民問題

 しかし移民受入国として長い歴史のあるフランスも、移民が家族を呼び寄せるので多くの欧州先進国同様、移民やその子孫の社会統合に苦しんでいる。多くは自分の国の文化や習慣に固執し(特にイスラム国民は)社会に溶け込むことを拒否するからだ。フランスは1945−75 年までの経済成長期には、安価で大量の労働力が必要となり、炭坑や自動車工業の労働者としてスペイン、ポルトガル、マグレブ等から大量の外国人労働者の受入れを行った。彼らは出稼ぎの部類で家族を本国に残し給料を持ち帰る生活であった。


 

選択的移民政策

 その後、外国人労働が欧州各国で停滞しても家族の呼び寄せは人権への配慮とし許容したので、移民の人口は増え続けた。2003 年の選択的移民制に転換する法律で移民の審査が厳格になる一方でフランスに利益をもたらすスキルを持った人材の優先的受入れとそれ以外の外国人の流入阻止を図ることになった。


 数値目標としてこのような「技術移民」を移民全体の50%とし、2007年いっぱいで滞在許可証を持たない移民の国外退去を求めることとしたため、移民の反感を買い社会的な混乱をもたらしている。しかし科学者、技術者など高学歴、高度のスキルを有する移民が選別されて国力に寄与したことは疑いの無い事実である。滞在許可を取得し、永続的な滞在を希望する移民は、同契約に従って、語学・市民教育を受けなくてはならないため、移民への支援が増大し財政負担が増えた。


 

移民問題は暴動の火種

 実際、2005年には警官に追われた北アフリカ移民の若者が逃げ込んだ変電所で感電死したことをきっかけにパリ郊外のゲットー地区で暴動が発生した。統計上の失業率は23%であったが一部は40%に上る地域も有り、そうした地域では反社会的な基盤ができあがていたと思われる。


  北アフリカからヨーロッパへの不法移民はモロッコ沖から漁船に乗り、民間の不法移民支援会社が漁船をチャーターして、イタリアの港を経由して行われるという。しかし多くの場合、漁船の限界を超えて密航者を募るため、沖合で沈没し数100名規模の犠牲を出す事件が相次いだ。2013年10月にはイタリア沖で、500人近くのアフリカ難民を乗せた船が出火して沈没し犠牲者が300人を超えた。


 

それでも移民に頼るのか

 国の選択移民制度が機能するには細かい法制度とともに研修制度を含む移民インフラ整備に財源確保が必須であるが、現実には欧州諸国の財政難で求める技術移民が集まっていないばかりか、技能を持たない移民は国外退去におびえて国への反感と不信が募るばかりである。