グローバルな問題解決は地方自治体から

18.01.2019

Photo: news.gallup.com

 

 国境を無視したグローバリズムが引き起こす様々な問題が顕著になり、反グローバリズムの動きが各国で活発化している。エクセター大学の研究チームは問題解決の主体を国家に求めるのでなく、対極にある地方自治に託す考え方がある。研究チームは住民の地域に対する愛情が、地球規模の環境問題に取り組むために利用されるかもしれないと主張する(Devine-Wright et al., Transactions of the British Geographers online Dec. 24, 2018)。

 

 地域社会に焦点を当てている地方主義(注1)はしばしば否定的に見られ、時には「島国根性と利己主義と揶揄されるニンビズム(注2)」と類似していると見られるが、研究チームは、「ポジテイブな地方主義」は環境問題解決の基礎になり得ると主張する。

 

(注1)教区制度(Parochialism)はもともと教区制の意味で、現在では(国家や中央統制に対する)地方主義を指す。組織論のヒエラルキーの最下層として定義されることもある。

(注2)「自分の家の裏庭ではなく」と訳されるニンビズムは、施設の必要性は認めるが、自分の家の環境が悪化するものは建設して欲しくないという意味で、ゴミ処理施設を近くにつくるのに反対する住民のエゴを指す。

 

 研究チームは1987年に英国の芸術と環境の慈善団体によって推進されたプロジェクト(Parish Maps)(注3)を再検討し、そしてこのプロジェクトは今日でも成立する生態学的懸念を示唆しているとした。

 

(注3)全教区民の地図(住民台帳)。

 

 この教区地図プロジェクトは、国境を越えた何千もの地図の作成と、地域の環境保護主義の台頭に結びついた。研究チームは、それが多くの人々がネガテイブな印象を受ける「利己的な村組織のような地方主義」ではなく、「地域愛に根ざしたポジテイブなイメージの地方主義」を意味すると考えた。下図は教区地図の一例。

 

CREDIT: University of Exeter

 

 後者の地方主義が利己的、内向的であるという証拠は無いし、自分の住む地域とのつながりを感じることと、より広い世界へのつながりを感じることの間に矛盾や対立はない。むしろ地域に焦点を当てることで、地球規模の問題に取り組むことが自然だという発想である。

 

 地球規模の問題解決には、国際的な世界観が必要だとされ、自国語以外の言語を操る国際人がグローバリストの条件とされてきた。例えば日本で、幼少期から英語教育を始めたり、プレゼン能力を小学校で教えたりするのもその一環に他ならない。

 

 しかしそれは安易な考え方で、実はそうではないかもしれない。郷土愛に目覚めたポジティブ地方主義は、見過ごされてきた重要な視点を与える可能性がある。教区地図プロジェクトのビジョンは、「孤独に向かって後退することなく教区の有効性を信じて主張する」という「前向きな地方主義」を具現化したものととらえることができる。なおここでは教区を宗教と関連づけるのではなく、住民税を払った住民が支える共同体の意味で、地方自治体のことである。

 

 教区地図を作成することは、環境政策や計画への関心と関与を促進する代位ぽで、創造的な活動を促進するものである。中央による政策決定はしばしば合理的な反面、現実的で無い机上の議論で、住民感情を無視する可能性があり、そのことが将来、住民の不満や反感につながる恐れがある。住民の権利のみを主張し、共同体に溶けこめずに孤立して反社会的活動に走る不法移民が深刻化しているグローバルな問題解決は地方自治で、という発想の背景にあるのは、郷土愛で結ばれた地方共同体に立ち返ることで、人間性を取り戻せるという淡い希望である。

 

 これまでは国の対極として考えられてきた地方自治体(この研究での意味は教区というコミュニテイの最小単位)だが、グローバリズムの蔓延で国を超えた弊害と環境問題が表面化している今日、ここでの議論は(もはや国が解決できない以上)これまでのエゴイステイックな村意識ではなく、地方自治体をポジテイブなイメージで再認識することの必要性を主張している。もしかすると世界中で勢力を増しつつあるポピュラリズムの根底にあるのは、このような考え方と共通する部分が多いのかもしれない。