1ドル360円の時代


 1971年8月までの世界はまるで違う景色であった。為替レートや手数料を気にして両替所を探す必要などいらなかった。1ドル=360円というレートは世界中どこにいってもそうだったからである。


 当時は外国旅行に先立って資金が必要だった。銀行に行って日本円をキャッシュとトラベラーズチェックに両替することになった。トラベラーズチェックといえばAMEX。


 飛行機はBoeing707で中央に一列のスマートな機体である。機上の人となることはいまのファーストクラスに乗るくらいのステータスであった。


 何故ならパスポートは簡単に取得できないし、航空券は旅行会社を通して購入することが普通だったからである。もちろん旅行会社にも格付けがあって、JTBがトップに君臨していた。ホテルのブッキングや送迎にいたるまできめ細かいサービスがあったから、頼もしかったが日程を組むのに往復を何度もした。手数料は高かったがまず間違いはなかった。


 機上の人となるにはまだまだやることがあった。申し合わせたようにサムソナイトにパッキングして、出発前に外国を想像して家の中をサムソナイトを動かしてみる。


 成田空港ではなく羽田空港が東京の玄関であった。街には当時、オレンジジュースはおろかオレンジという果物がなかったので、機内で飲めるオレンジジュースは貴重な体験であった。MacDonald'sで味わう冷凍オレンジジュースでさえも格別の味であった。


 ようやくタラップを登るときの感動はいまでも忘れられない。たいていの人は機内に消える前にタラップからVIP然として空港をみやる。見送りの人たちが手を振っている。


 機内に入るとそこは別世界だった。あこがれのオレンジジュースはいくらでも飲める。落ち着いて周りをみれば、男性はネクタイ着用、女性達はまるで謝恩会ファッションで座っている。


 そういう時代には一人当たり最低50万円はないと海外に行くことはできなかった。旅行は必要がなければ無理だった。日本人は両替してお金がなくなるが、アメリカ人は京都、奈良で豪遊はわけなかった。


311後に体験した1ドル80円の世界と1ドル360円の世界。いまはその中間だが個人的には1EU=1ドル=100円に固定相場にしたらどうか、と思っている。相場が固定で困るFX商売はもちろん消えて行く。ちなみにEUを欧州ではユーロドラーと呼ぶ人もいる。