米国の変貌ーPart2 Knoxville

  

 1970年代後半のテネシー州のKnoxvilleは同じ州のMemphisやNashvilleに比べると、ずっと小さい街であった。人口的にはいまでも17万という数字だが、その頃とは比べ物にならない賑わいをみせている。

 

 Konoxvilleはテネシー大学と近くにスモーキーマウンテン国立公園があることで、学生や観光客を引きつけたのだろう。それ以外に市内をInterstate-40(I40)が貫通していて、陸路で東海岸、中西部と繋がっていることから、企業立地もさかんになったこともある。

 

 1970年後半にはI40をタイミングをみはからって横切ることができたほどだが、今はとても無理だ。上の写真の橋は私の中では映画"Stand by me" の橋なのである。

 

 歴史的にはTVA拠点のひとつとして発展したことが、かえってその後の一時的な収縮につながったのかもしれない。

 

 郊外をドライブすると真っ黒な小さい家を多数みかけた。それらは白人貧困層(Poor White)の住む家だという。

 

 隣町のオークリッジは原子力産業で知られ、当時は原子炉関係の日本企業から派遣された滞在者が多かった。ノックスビルとオークリッジは空港を共有している。駐車場に1カ月車をおいて旅行にでかけても何もいわれない、当時ののどかさはいまはない。

 

 1970年代後半のここの街では米国の古き良き時代、映画"Stand by me"、そのものであった。

 

 テネシー大学は当時はカレッジフットボールチームも弱い、ありきたりな州立大学であったが、いまはフットボールも大学のレベルも大きく躍進した。

 

 少し離れると先住民インデイアンにゆかりがふかいチャタヌーガや代表的なバーボンウイスキーで名前が知れ渡っているJack Danielsの工場がある。

 

 I75で北に向かえば、同じくバーボンウイスキーJim Beansで有名なケンタッキー州へも北に位置した隣でバーボン愛好家には聖地ともいえる場所なのである。郊外を走ると山間に密造酒(Moon Shine)であった真っ黒い建物がみつかる。うっすら煙が立っていれば密造しているということである。