欧州で鍛えられるセキュリテイ度ーPart2ミラノ

  

 Part 1でかいたように先週、パリで所持金40万円をあっけなくジプシーキッズに捧げた友人に別れを告げて、私は今日、アメリカ人の友人とレンタカーでアルプスを越えて次の目的地のイタリアのフラスカテイに移動することになった。

 

 そのときに別のアメリカ人と賭けをした。彼は列車、我々は車で移動して、どちらが安全かを競うものだった。当時のジプシーキッズの活動はすさまじく、駅に行くとバックパッカーのほとんどが半開きになったリュックで構内を歩いていた。ジプシーキッズの餌食になったのだ。

 

 なのでこの勝負、軽く我々の勝ちだと思った。しかしアメリカ人夫婦と私の3 人の運命はこのときに決まっていたのである。

 

 パリからアルプス越えのルートは有名なシャモニーモンブラン(上)を通って北イタリアに入り、ミラノ経由でアウトストラーダ(イタリアの悪名高い高速道路)でイタリア半島を縦断するルートで決まりである。

 

 8月のフランス側の高速道路は単調で時折すれ違うのはオンボロのキャンピングカーとテロリスト御用達のVWバンである。みな南フランスから帰る途中だろう。単調だった田園風景はほんとうに突然、シャモニーモンブラン近くでアルプスがそびえ立つ。

 

 しかしこの街のホテルは完璧に満室で、しかも一泊5万円というのはざらにある。我々は国境を越えて(当時、イタリアーフランス間のパスポートコントロールはなかった)イタリア側にある隣町に宿をとった。シャモニーモンブランよりはるかに安くイタリアビールも美味しかった。

 

 翌日はアウトストラーダを飛ばして昼過ぎにミラノに入った。当時のイタリア通貨はリラでアウトストラーダはインフレで貨幣が大量に必要なので、車を有名なミラノのCentral Stationの隣駅前に駐車して列車でCentral Stationで両替して戻って来た。

 

 車は安全のため駅前のジェラートショップ屋台の向かいに駐車していた。車はそのままだが中は空であった。鍵は壊れていなかった。ジェラート店員が目撃していたはずなのに。これで3人は着の身着のまま全てを失った。私は車を離れるときにはいつもそうするようにパスポートと財布を携帯するので、それだけはまぬがれた。

 

 3人ともAMEXカードの保険を使うために警察署に行って盗難証明書をもらった。警察署の中はイタリアらしく陽気な警察官が迎えてくれたが、英語ができない。友人の大学のラテン後でなんとか会話が成立し、証明書をもらった。

 

 この事件は3人の若者に大きな影響を与えた。私はこの事件以来、これからかくように数えきれない「スリとの遭遇」を経験するのだが、全てを撃退した。この事件でセキュリテイ度が格段に上がったからだ。

 

 成田空港に着いた際には手荷物がないので税関に不審者扱いされたが、ここでも「盗難証明」が役に立った。アメリカ人はシカゴ空港にサンダルで着いてやはり怪しまれたそうだ。(当時は飛行機に裸足でのる「先進国」の旅行者は皆無であった。)

 

 ミラノの駅は危険がいっぱいなのである。下の写真はCentral Station。後日談だがこの証明書のおかげでバゲッジとその中身は全て新品になった。