ポーランドの過去と未来

 

 ワルシャワの市内にはポーランド共和国の建国の父であり初代国家元首、国防省、首相であった軍人、ジョセフピウスツキ(写真)の銅像がいたるところにあって、ワルシャワ市民の尊敬の中心である。

 

 医学の教育を受けたピウスツキはポーランド社会党を創立したが、社会主義者より愛国者というべき彼は後に、政府によって投獄されるが発狂したとみせかけて脱走するなど、筋金いりの活動家であった。

 

 ピウスツキは後にポーランド軍となる施設軍隊を組織した。第一次世界大戦の後、ポーランドが建国されたがポーランド軍がドイツの指揮下におかれるとこれを拒否したピウスツキは投獄される。

 

 1918年のドイツ革命後にワルシャワでポーランド第次共和国の国家元首に迎えられる。その後に政府が混乱すると有名な五月革命でクーデターを起こす。

 

 ヒットラーと対抗するためにフランスと結んだが彼の死後、ドイツのポーランド侵攻で第二次共和国は葬り去られるが、市民の心は折れなかったのはピウスツキへの思いがあったからだろう。

 

 社会主義圏には必ず民衆が一度に集まれる中央広場がある。ワルシャワのそれもやはり特別の存在感をはなつもので、献花が絶えることはないが市民の憩いの場でもある。

 

 そんな過去であるが広場を歩いて行くワルシャワっ子は現代の若者であり、暗い過去を気にせず自分たちの未来に向かって歩いて行く。こういう国を力ずくで押さえ込むのは不可能だ。