原子力の過去・現在・未来

Feb. 14, 2015

 

過去

 日本の原子力利用は科学技術史的には米国より古い。陸軍が仁科博士率いる理研チームに原爆製造を委託したのは1942年マンハッタン計画スタートの前年である。この研究は熱拡散法でウランを濃縮して広島型ウラン原爆を製造しようとしたが、一方海軍は京大チームに遠心分離によるウラン濃縮で原爆を製造する研究を支援した。


 軍と大学の積極的な協力関係にも関わらずウラン鉱石の資源確保(注)ができずに広島、長崎への原爆投下を迎えた1945年時点でも現実的な原爆製造にはいたらなかったわけだが、ウラン資源と濃縮技術、それを支える人的、電力的資源の不足でも、実用レベルには達しなかったが、軍と大学が一体となった製造計画は実行されたことを知る人は少ない。


(注)原爆開発は気の遠くなるような濃縮と資源の確保が必要である。ドイツや日本の原爆製造が失敗した理由は資源の確保ができなかった。核分裂の「連鎖反応」が爆発的に起こるには天然ウラン235の濃度0.7%を濃縮して90%以上の濃度にする必要がある。ウランを用いる原爆は条件が満たされても効率が悪いため大量生産には向かない。


 マンハッタン計画のウラン濃縮はオークリッジで行なわれた。これに対して原子炉でウランを格燃料とすればプルトニウムが生成されるため、ハンフォードのプルトニウム製造で長崎型のプリトニウム原爆が製造されることになった。オークリッジは空港を共有するノックスビルを汚染のリスクにさらせないということで、ハンフォードに工場を移したという。ハンフォードの周辺の核汚染の現実をみると先見のある決定であった。マンハッタン計画については詳しい書籍があるので詳細は割愛する。


 

アメリカの思惑

 ウラン、プルトニウム両方の型式の原爆投下で威力を解析した米国は水爆実験ではソ連に先を越されたことと、ビキニの水爆実験で第五福竜丸被曝をきっかけとして日本国内で急速に高まりつつあった反米主義により共産化が現実的となると思い込み、原子力平和利用という名目で核の傘の中に自由主義陣営を引っぱりこもうとした。日米原子力協定はその先陣であった。

 

 一方、核の傘ということは、平和利用の原子力利用は積極的に米国が支援するかわりに核兵器への転用を禁じる、ものであった。米国はそのために国際的な査察機関として1953年にIAEAを設立して核軍縮の名のもとに核への転用を査察することができるようになった。IAEA設立に際してはアイゼンハワーの有名な演説(Aoms for peace)が契機になったとされる。核開発を平和利用に置き換えると同時に、核所有の数量制限と拡散防止を目指すシナリオは世界各国に受け入れられることになった。

 

 

原子力平和利用の始まり

 原子力平和利用は広島長崎に加えて第五福竜丸の被曝の放射線障害を一貫して否定してきた米国への不満が共産勢力に結びつく直前に、米国が切ったカードであった。読売新聞のオーナーが米国の科学者を招聘し、原子力平和利用のメリットをメデイアをたくみに操るだけでなく、自ら国会議員、閣僚となり民間主導で日米協定を成立させたことは興味深い史実だが語られることは少ない。

 

 当時の読売新聞は後の3大新聞のひとつといえども、当時は創業間もなく国家的事業のスポンサーとなれる余裕はなかったはずである。ともかく相当な資金と米国の関係企業、日米両政府とのコネがなければ不可能な仕事を1個人が成し遂げた。また原子力発電でメデイア(読売+日本TV)への還元がそれほどあるとも思えない。平和利用協定には多くの不自然さと米国の意図がうかがえるが、結果として日本は1950年代初期から原子力平和利用に積極的に取り組み1955年には原子力基本法が成立する。沸騰水型(BWR)と加圧水型(PWR)を中心に54基の原子炉は、米国の104基、フランスの59基(IAEA2010資料)に次いで世界第三位の原子力依存国となる。

 

 スリーマイル、チェルノブイリ、福島第一の事故を受け世界的に先進国の原発離れが加速し、ドイツは2010年までに原発廃止に舵を切った。しかし発展途上国ではエネルギー不足も深刻化し2023年までに世界の原子炉(433基)は144基が新設され、51基が廃止されることで、結果として93基増えて526基となる。福島第一廃炉の見通しもないまま、休止している原発の再稼働は困難な状況にある。米国の原子炉は耐用年数を過ぎたものもあるが新しい原子炉はようやくオバマ政権でグリーンエネルギー政策のもとで認可されたが、住民運動で工事が遅れる中でシェールオイル増産で原油価格が下がり原子力産業は大打撃を受けている。下は事故を受けて特別任務のためスリーマイル島発電所上空を飛ぶ軍用機。

 


 

核燃料サイクルという魔術

 国内で発生した使用済み核燃料は、各原子力発電所内等で保管されるが、中間貯蔵施設は原子炉外で集積して保管する。使用済燃料はフランスや英国の再処理施設に送られてプルトニウムやウラン235を抽出し核燃料として再利用される。日本ではMOX燃料(ウラン・プルトニウム混合酸化物)でプルサーマル発電を行なうほか、消費した燃料に含まれる量以上のプルトニウムを生成する高速増殖炉(注)により、経済性に優れた原子炉運転が可能となる「核燃料サイクル」を基本原理として電力の20%以上を供給する原子炉が建設された。

 

(注)高速増殖炉の研究開発は各国で中止され現在、日本だけが開発を継続しているが、溶融ナトリウムの取扱は技術的に困難で見通しは立っていないのが現状である。

 

 福島第一原発の汚染事故後に全基が停止され、原子力政策の見直しも叫ばれる中で、停止中の原子炉はより厳格な条件のもとで再稼働が近い。原子力への依存は再生利用エネルギーの代替えで低くなる兆候をみせているが、ドイツのような極端な脱原発への転換はないと思われる。


 

未来

 これまでの運転で国内の核廃棄物は再処理で燃料として使える核種を分離した後ガラス化して地中で保管することになるが、その計画はまだ立てられていない。世界的にもフインランドのオンカロ廃棄物貯蔵施設が建設中である他は、前例がない。現在の最新鋭原子炉は第三世代で、未来の超高温原子炉VHTR(Very High Temperature Reactor)は第4世代型原子炉である(下の図)。この原子炉は従来型と異なり熱源部分で600-1000度近い高温になる。そのため熱効率の高いガスタービン複合発電(注)が可能で、ヘリウムガスを1次冷却剤とするガスタービン原子炉が知られている。ヘリウムガスタービン炉は原子炉心の熱容量が大きく、放射化しないヘリウムガスを冷却剤に用いるために安全性も高いとされる。

 

(注)複合発電

ガスタービンと蒸気タービンを組み合わせた発電方式。最初に高温ガスの圧力でガスタービンを回して発電を行い、その排ガスの余熱で水を沸騰させ、蒸気タービンによる発電を組み合わせる。

 


 超高温原子炉は高温を生かして天然ガスから水素製造に使用可能(注)で大規模な水素供給施設を原子炉に隣接して設置すれば水素社会に水素を供給できるようになる。燃料電池車が主流になるかどうかは別にして、水素社会が現実化するためには次世代型原子炉に隣接した水素供給基地が望ましいが、原子炉も水素もリスクもあるので、諸刃の刃なのかも知れない。科学技術にとって試練の時なのかも知れない未来はそう遠いものではなさそうだ。

 

 

(注)水から水素を(電解で)製造するには550-850度の高温が必要で、天然ガスからだと300-700度の温度が必要とされる。熱源と電力を同時に供給できる第4世代型原子炉は水素供給施設と発電所を一カ所にまとめることができる。

 

  下の写真はホンダがトヨタに続いて販売するFCV。FCVの燃料である水素、それをエネルギー源とする水素社会が次世代原子炉と関連するのは偶然ではなさそうだ。