パンデミックとシェラレオネ

Nov. 13, 2014

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エボラ出血熱の舞台となったシェラレオネに別のウイルス流行の歴史があったことはよく知られていない。話は20世紀初頭に遡る。1918年から翌年にかけて第一次大戦の死者を上回る死者を出したパンデミック、スペイン風邪である。感染者は6億人、死者は5000万人とされるが、情報網の発達していない時代なので実際の死傷者はこの数字を上回ると考えてよい。


 スペイン風邪の歴史をたどると今回のエボラ出血熱のケースとの類似点が多い。中でも何故、シェラレオネが関係するのか不思議に思うだろう。その理由はこのウイルスの発生源が新大陸、北アメリカであったことが影響している。ここで始った流行はやがて米軍の欧州派兵とともに大西洋を渡った。何故、シェラレオネがパンデミックの初期に登場するかといえば、植民地と支配国の間の密接な交易と人の行き来が激しいことによるのだろう。独立してからもこれらは続いているのだ。


 

 そのため主に軍人の移動によって、フランスの屈指の軍港、ブレスト、米国内の港町ボストン、英国植民地であったシェラレオネなどがあいついでウイルスの猛威にさらされた。発生源はその後の調べではカナダの鴨のウイルスがイリノイ州の豚に感染したとされる。集団生活が強いられる環境、軍隊での蔓延はひどく大戦の死傷者の多くはインフルエンザによるものだった。日本でのスペイン風邪では48万人が犠牲になったとされる。


 

 スペイン風邪は当初アメリカ国内で流行したがその年の秋には変異して、より強力な感染力と症状で地球全体に及ぶパンデミックを引き起こした。スペイン風邪の正体はA型インフルエンザウイルス(H1N1亜型)だが、それが推定されたのはパンデミックの収まった15年後のことで、検証されたのは実に79年もあとになってからであった。


 

 注目すべき事は人間に感染力を持たなかった鳥インフルエンザウイルスが変異して感染するようになったことである。スペイン風邪ウイルスには変位の詳細を含め不明な点が多いが、遺伝子解析で増殖能力が異常に高いことが解明されたのは2008年のことである。今回のエボラ出血熱の感染力は低いとされるが、いつスペイン風邪のような変異を受けて感染力が異常な型ができる恐れがある。


 

 シェラレオネに流行をもたらしたのは英国軍人を乗せた軍艦の寄港であった。この地でウイルスが変異して強毒性となったとする説もある。1世紀を隔ていまこの地から旧植民地の支配国へ新たなウイルスが運ばれたのは皮肉な結末だが、エボラ出血熱の変異に備えてもう一度スペイン風邪の歴史を振り返ることが必要になっている。